意識論考日記#1

今日から、「意識論考記」なるものをやっていこうと思います。といっても、毎日とはいかないはずですが。このコーナーは、哲学書や意識について書かれた本などを読んで、自分が考えたことや思ったことを述べる、というものです。

さて、今現在読んでいる本は、哲学書『純粋理性批判(3巻)』(光文社古典新訳文庫)です。なぜ3巻かというと、あるとき、光文社ではない別の出版社から出ていた『純粋理性批判』をパラパラとめくっていて、「おお、これを読めば意識について少しでもわかるのではないか?」と思ったところのページに該当する内容が、光文社古典新訳文庫の『純粋理性批判』でいうところの3巻に該当したからです。ちなみに、「光文社古典新訳文庫」、僕は大好きです。後ろのページにある解説が豊富であることが多いし、本文も分かりやすい文章であることが多いからです。僕のような哲学を本格的に学んでいない人にとっては、「光文社古典新訳文庫」はうってつけなのです。

ちなみに、僕はズルいやつなので、哲学書を読むときはいきなり本文に入らず、後ろについている解説や、別にある解説書を読んでいます。そして、その読んだことに基づいて、意識について考えたりしています。

では、今回読んだところについて、考えたことや思ったことを述べていきます。

空間と時間は、すべての直観に本質的にそなわる形式であり、この空間と時間の総合によってわたしたちは現象を把握することができる(p.81)

→空間とか時間を、人間はどのように判断しているのだろうか?神経科学の面から捉えることは可能か?また、空間とか時間を人間がどのように把握しているのかわかれば、意識の本質にせまれるであろうか?
あと、トノー二の統合情報理論とどのように関係しうるか?


もしかすると、「思っていたのとはチガウぞ・・・。」とお思いになるかもしれません。まあでも、これはこれで僕の考えたことや思ったことなので。本当は自分なりの答えを出し切るところまでいきたいですが、わからないときは飛ばすというのがポリシーなので、おいおい今回疑問に思ったことは自分なりに考えていきます。ちなみに、トノー二の統合情報理論については、後日このブログで紹介したいと思います。

では、また次回!


今回読んだ本:純粋理性批判3(光文社古典新訳文庫)

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